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島添大里城(しましぃおおざとぐすく)

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島添大里城(しましいおおざとじょう)は、現在の沖縄県に存したかつての城(グスク)である。
琉球最大のグスクであり、1429年に南山王国が滅亡するまで首府が置かれていた。

2005年まで存した自治体の大里村(現南城市)の村名は、このグスクの名に因む。
現在は廃墟となっているが、2012年1月に国の史跡に指定されている。


島添大里城

島添大里城は山南王・承察度(うふさっと)が中山への備えとして弟の汪英紫(おうえいじ)に築かせたという説がありますが、
築城年および築城者は不明です。
崖を背後に天然の地形を巧みに取り入れた要害で、
島添大里按司の居城として、本島島尻地域の東半分を支配する拠点でした。
15世紀の初めに尚巴志によって攻略され,落城した後は尚巴志による三山統一の拠点となり、
首里城へ本拠が移転した後は離宮として使用されました。
現在、城址は大里城址公園として整備されています。


島添大里城跡 文化遺産オンライン

島添大里城跡は,沖縄県南城市の標高約150mの舌状に伸びる琉球石灰岩丘陵の東端に位置し,
崖を背後に堅固な城壁と天然の地形を巧みに取り入れた,沖縄グスク時代の城跡である。

古文献などによれば,三山(さんざん)時代の島添大里按司(あじ)の居城として,
本島島尻(しまじり)地域の東半分を支配する拠点であった。
15世紀の初め,
尚巴志 (しょうはし)によって攻略され,
落城した後は尚巴志による三山統一の拠点となり,首里城へ本拠が移転した後は,離宮として使用された。

大里村(現・南城市)教育委員会による発掘調査の結果,城の規模は,南北約210m,東西約270mで,
二重の城壁を有し,内郭(ないかく)を囲む城壁は,高さ約6m,長さ約175mが残存し,
外郭部分の石積みは城跡の西側と北東側に残り,当時の山南域では最大規模を誇る。
また基壇の上に造られた礎石建物の正殿の遺構が残る。
中国産陶磁器や金属製品(鉄器・青銅製品),装飾品などが出土した。
城に近接して物見台(ものみだい)と考えられるギリムイグスクも所在する。
三山時代の島添大里按司の拠点として,
また尚巴志による琉球統一の拠点となったとされる歴史的な城跡として貴重である。


島添大里城跡 - 南城なび|Nanjo Navigator~南城市 観光 ...

南城市大里地区にある城跡です。14世紀ごろ、当時の島尻地域を支配していた武将、
島添大里按司(しましーおおざとあじ)によって築かれたグスクです。
島添大里城跡は崖を背に、しっかりとした城壁を築くなど、自然の地形をうまく取り入れた構造をしています。
木々が豊かに茂る中、ところどころに拝所などが設けられ、神聖な雰囲気を漂わせています。
島添とは「島々を支配する」という意味で、このグスクを造った島添大里按司は
大里、佐敷、知念、玉城地域を支配下に置くほどの勢力を誇り、
中国の明王朝とも盛んに貿易を行ったと言われています。
島添大里城跡からの眺望は良く、
勝連グスク、中城グスク、首里グスクなどの動向を把握できる戦略的に有利な位置に存在しましたが、
後に初代の琉球国王になった尚巴志(しょうはし)によって三山統一の足がかりとして攻め落とされ、
統一のための軍事拠点として利用されました。
島添大里城跡は2012年1月24日付で国指定史跡となりました。

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