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阿麻和利(あまわり)が居城した城

15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらし、国王に最後まで抵抗した有力按司、
阿麻和利 の城です。
2000年にユネスコの世界遺産に登録されました。
5つの郭から成る連郭式の城で、高い城壁が見事で、井戸、門跡も残っています。
自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われる勝連城ですが、
その城壁は優雅な曲線を描き、女性的な美しさを感じさせます。
頂上に登ると東西に輝く青い海が一望できる沖縄有数の景勝地です。

築城は沖縄の城の中でも最も古く、12世紀頃と伝えられています。
現在の規模になったのは14世紀頃といわれています。

暴君茂知附を計略によって成敗し、城主となった阿麻和利は、
善政を敷き、海外貿易によって勢力を増大させていきました、

琉球国王
尚泰久 は自分の娘 百十踏揚 を嫁がせ、
座喜味城 の忠臣 護佐丸 中城 に移し阿麻和利を押さえようとしました。

1458年、阿麻和利は国王尚泰久に中城護佐丸が謀叛の疑いありと報告し、
自ら追討軍総大将として護佐丸を攻め滅ぼしました。

その後首里城を攻めましたが大敗し、
勝連城に立て篭もりましたが、
大城賢勇 の率いる首里軍に攻められ勝連城は落城して滅びたそうです。


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最後の勝連城主 阿麻和利
 阿麻和利の勢力に脅威を感じた琉球国王(*2)・尚泰久は、重臣の護佐丸を中城城に住まわせ阿麻和利を牽制し、
娘の百度踏揚を嫁がせました。
 ところが、天下統一を目指した阿麻和利は1458年に護佐丸を倒し(護佐丸・阿麻和利の乱)、王府打倒へ動き出しました。
しかし、それを妻の百度踏揚と大城賢雄(百度踏揚の付き人)に知られてしまいます。
 2人が国王に危機を伝えたことで、阿麻和利は大城賢雄率いる王府軍によって滅ぼされてしまいました。(*2)
琉球1429年から1879年までの450年間、沖縄は琉球王国という独立国家を形成していた。

 多くの歴史書では、阿麻和利は琉球王府に歯向かった悪者として扱われています。
しかし、その後の研究によって名君であったと称えられていたことが分かり、
「護佐丸・阿麻和利の乱」は2人の力を恐れた琉球王府が、彼らを排除するために仕組んだものだという説も浮上しています。

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しかし、その賢雄も王府の陰謀により殺され、夫を失った百度踏揚は寂しい隠居生活を送ったと言われています。
政略結婚に利用され、二度も夫を失った百度踏揚は、まさに悲劇の王女と言えるでしょう。
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東には海中道路が見えます。


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距離:20.4km時間:38分


リザンシーパークホテル谷茶ベイ .
   国道58号線 2.93km

1.仲泊を左折.
   県道6号線 3km

2.伊波を右折.
   国道329号線 5.2km

3.池原を左折.
   県道36号線 3.2km

4.交差点を右折.
   県道75号線 363m

5.上平良川を左折.
   県道36号線 790m

6.交差点を右折.
   県道36号線 975m

7.交差点を左折.
   県道16号線 3.48km

8.交差点を斜め前方右方向.
   436m

勝連城跡 .
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スポット一覧

勝連城跡 は小高い山の上にあるので、南は中城湾、東には海中道路が見え景色は最高です。

沖縄県うるま市

癒しの琉球古城と拝所と碑文の写真集



世界遺産を巡るツアーへ!琉球王朝・勝連城コース

うるま市の世界遺産を巡るツアーです。勝連城跡とその周辺地域を巡っていきましょう。
みなさまをご案内するのは、歴史に詳しい史跡ガイド。
現在まで残る生活様式や、文化・歴史など、ちょっと濃いめのお話を聴きながら、歴史を紐解いていきます。
琉球王朝時代に存在したとされる阿麻和利(あまわり)王の居城、勝連城。
当時に思いを馳せながら、ゆったりとお過ごしください。
勝連城跡から眺める絶景!360度の大パノラマをご覧ください
当ツアーで巡るコースは、
アコージガー 勝連城 浜川ガー クトジ御嶽 浜川港 浜崎の寺 となっています。
それぞれの歴史はもちろん、眺められる景色もツアーの魅力の1つです。
中でも勝連城の「一の曲輪(くるわ)」からの景観は圧巻の一言!高台からは360度の大パノラマが広がり、
知念半島ややんばるを一望することができます。今も昔も変わらない、うるまの絶景をご堪能ください。


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二の丸には今も阿麻和利がまつられている


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東の曲輪から眺めた勝連城跡

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「発掘調査、復元、整備」進む「世界遺産・勝連城跡」2014 ...

勝連城跡は沖縄うるま市の歴史スポット!最古と ...- Find … より

琉球王朝時代に最後まで王朝に抵抗し戦いを挑んだ阿麻和利(あまわり)の居城として有名な「勝連城」。
その「勝連城跡」の魅力に迫ります。


1.勝連城跡(かつれんじょうあと)とは?

勝連城は、沖縄の城の中でも最も古く、13世紀頃に築城されたとされています。
沖縄本島中部、東部海岸の勝連半島にあり高低差のある丘陵地をうまく利用した城造りが特徴です。
城主は、代々按司【あじ(地域の首長)】として治めてきましたが、
10代目の城主、阿麻和利(あまわり)の時が最も繁栄していたとされています。
 
勝連城は、勝連半島沿いに東西に細長く延びた形状のため、別名「進貢船のグスク」とも呼ばれています。
東の曲輪【くるわ(城郭内の区画のこと)】が少し高く四の曲輪が平坦で
三の曲輪から二の曲輪、一の曲輪と段状になっていることでその名が付いたとされます。
また、断崖の地形を利用した城壁は優美な曲線を描いています。当時の居城としてはとても立派なもののようでした。
現在は、城壁跡しか残っていませんが、全貌を明らかにしようと発掘調査が進行中です。
ここ「勝連城跡」は、2000年(平成12)12月に「首里城跡」などと共に
【琉球王国のグスク及び関連遺産群】として世界遺産に登録されました。


2.勝連城跡の魅力

一の曲輪の標高は約98メートルですが、
周辺に視界を遮る程の高いものがないため360°の大パノラマが広がるオーシャンビューは絶景です。

北側には金武(きん)湾から山原(やんばる)、南側は中城(なかぐすく)湾から知念半島までを見渡すことができ、
エメラルドグリーンの海に挟まれた海上の城塞のように思え眼前に広がる眺めは、目を瞠るものがあります。

勝連城は、琉球石灰岩の切り石を使用して築城されているため丘陵の地形を巧みに活かせることができました。
特に現在見ることが出来る断崖絶壁の城壁は緩やかな曲線を描いており、空の青さと、
大地の緑、海のエメラルドグリーンとの狭間に美しい景観が広がります。


3.勝連城の歴史

13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたとされている「勝連城」勝連城跡が現在のような姿になるには、
およそ500年以上前から続く、琉球の歴史の蓄積があります。

城内より中国、元代の陶磁器が出土しており、文化面でも勝連文化とも言えるような特徴的な体系がなされていたことから、
この時代の「勝連城」の繁栄が伺えます。

ここでは、10代城主であった阿麻和利(あまわり)を中心人物とし、
「勝連城」にまつわる人物の紹介を通して、「勝連城」の歴史についてお伝えしたいと思います^^


阿麻和利 (あまわり)

10代城主であった阿麻和利(あまわり)は、
肝高【ちむたき(英雄のこと)】として人々に称賛された名君とされ、現在の勝連城の礎を築いたとされています。

阿痲和利は、近海の地の利から特に中国大陸からの中継貿易の拠点として発展させ、
膨大な利益を得ることで琉球王朝に匹敵するほどの経済力や軍事力を持つまでに勢力を拡大して行きました。

阿麻和利の野望は留まることなくついには琉球王国首里城に攻め入ろうとしますが、
事前に計画が漏れ首里軍に攻め入られ、勝連城にて勝連軍対首里軍の籠城戦の末滅ぼされてしまいます。
そんな琉球王朝時代のロマンを今に残すのが勝連城跡です。


護佐丸 (ごさまる)

恩納村出身の15世紀の琉球王国(中山)の按司(琉球諸島に存在した琉球王国の称号および位階の一つで、
王子の次にあたる)「護佐丸(ごさまる)」
大和名や唐名も残されてはいますが、何れも後世に付けられたもので、出生年もはっきりわかっていない人物です。

1416年尚巴志の北山討伐後、中城城にて阿麻和利や他の中山の按司を見張る役目を負いますが、
1458年阿麻和利に攻められ、自ら命を絶ちます。
一方、名築城家としても知られ、世界遺産の座喜味城跡や中城城跡を現在のかたちにした人物でもあります。


百十踏揚 (ももとふみあがり)

6代国王尚泰久の娘として生まれ、政略結婚で阿麻和利に嫁ぐことになる琉球王朝の王女「百十踏揚(ももとふみあがり)」
しかし、阿麻和利自身が王府に対し謀叛を企てていることを知り、首里を攻める準備を進めたため、
踏揚は従臣の鬼大城とともに夫の許を離れ、首里に逃げることになります。

阿麻和利が鬼大城率いる王府軍に滅ぼされた後は、鬼大城の妻となりますが、
その鬼大城さえも尚円王のクーデターの際によりうち滅ぼされるという波乱の人生を送ります。
最後は玉城でひっそりと余生を送り、やがて若くしてその生涯を閉じるのです。


察度 (さっと)

琉球の国王の一人「察度(さっと)」奥間大親(おくまうふや)と天女の間に生まれたと伝えられています。
貧しい家の生まれでしたが、誰とも結婚しようとしなかった勝連按司の娘に見初められたことにより家運を手にします。

貧乏人の「察度」でしたが、所有していた畑には実は金塊がごろごろと転がっており、
その価値を勝連按司の娘を教え、
金塊で得たお金を農民たちのために農具に必要な鉄を購入するために使ったという逸話が残っています。


4.見どころ・オススメポイント

沖縄では琉球時代から続く崇拝文化が根強く残っています。
ここ、勝連城跡にも当時のままの「御嶽(うたき)」が散在しています。

玉ノミウヂ御嶽 」は、 一の曲輪 の中央に有り按司の守り神を祀った拝所です。
一緒にある大きな岩は、勝運を守る霊石とされています。

ウシヌジカマ 」は、 二の曲輪 にあり、防空壕的役割で天災や戦の難を逃れるためここに身を潜めたとされます。
ちなみに、ガマとは洞窟のことです。  

ウミチムン 」は、火の神とされ二の曲輪の台所が有った場所に祀られています。
沖縄では、現在でも家族へのご加護を願って主婦が台所に祀っています。  

トゥヌムゥトゥ 」は、 三の曲輪 にあって祭祀などの際や、
旧暦の2月と5月に行われるウマチー(収穫祭)の際に神人(カミンチュ)が休憩するのに腰かけた座石とされています。  

ミートゥガー 」は、 四の曲輪 にあり、「夫婦の井戸」の意味でここで恋が成就するとその恋は永遠に続くとされていますが、
もし失恋してしまうとどちらかが死ぬとされています。ちょっとミステリアスなパワースポットです。  

ウタミシガー 」も四の曲輪にあり、旧暦の元旦に水量を見てその年の作物の出来具合いを占っていた井戸とされ、
水量が少ないと豊作、逆に多いと凶作とされていました。


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