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読谷村のほぼ中央にある座喜味城跡(ざきみじょうあと)は、
15世紀初期に築城家として名手だったといわれる
護佐丸(ごさまる) によって築かれた 城で
名将であり名築城家とも呼ばれた護佐丸が、ゼロから築き上げた最高傑作のグスクといわれてい
ます

護佐丸は、山田城(現在の恩納村山田)の山田按司(あじ
 地域 を統治していた豪族の )の子で、
若い頃、
中山(ちゅうざん)王 の命令で 北山(ほくざん)討伐 に参加して戦果を挙げ、
後に
今帰仁城 の看守を任されてい まし た。
そのときに見た今帰仁城の軍事的要塞としての機能や構造を参考にして、座喜味城を築城したといわれてい
ます

沖縄本島に400~500あるといわれるグスクのなかで、赤土の台地に建てられている城は珍しく、
城壁を屏風状にしたり幅を広げるなどの工夫がなされてい
ます
これは、座喜味の土質が国頭マージと呼ばれる赤土であったため、強度を保つため
もの です

曲がりくねった外郭と内郭の2つの郭(くるわ)からなるグスク
で、
石垣の曲線やアーチ門の美しさが見事であるだけでなく、
敵を袋小路に追い込むための「武者隠し」など、徹底的に戦に備えた強固な軍事要塞となっている
事や、
アーチ門棟石の強度を補強するためにクサビが打ち込まれていたり、
石垣の曲線にも高度な技術が施されていたりすることなどが、座喜味城跡ならではの特徴
です

沖縄戦前には日本軍の砲台や、
戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊され
まし たが、
城壁の復元が行われ
まし た。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定され
まし たが、
米軍基地として使用されていた部分は指定し得なかったため、返還を機に追加指定され
まし た。
ただし、現状変更のあった部分(西側道路部分)についてはのちに指定を解除してい
ます

2000年11月首里城跡などとともに、
琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産にも登録されてい
ます (登録名称は座喜味城跡)。
現在、城門などが復元され公園になってい
おり、 城内で演劇が行われるなど、広く利用されてい ます
城跡の高台から西側を望むと残波岬や、晴れた日には慶良間諸島も眺めることができ
ます

那覇から29バス1時間10分で座喜味下車、徒歩約8分。

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読谷村のほぼ中央にある座喜味城跡(ざきみじょうあと)は、
15世紀初期に築城家として名手だったといわれる
護佐丸(ごさまる) によって築かれたと伝えられており、
石垣のアーチ門や曲線が見事です。

沖縄県中頭郡読谷(よみたん)村にあった城(グスク)で、
15世紀初期に読谷山按司(よみたんざんあじ)だった護佐丸(ごさまる)によって築城された。
中山軍(ちゅうざんぐん)の武将として北山(ほくざん)を滅ぼした護佐丸は、
山田城 (国頭(くにがみ)郡恩納(おんな)村)から移ってきた。
沖縄本島に400~500あるといわれるグスクのなかで、赤土の台地に建てられている城は珍しく、
やわらかい地盤を強化するため、城壁を屏風状にしたり幅を広げるなどの工夫がなされている。
現在、沖縄最古のアーチ式の石門や城壁が残り、城門などが復元され公園になっている。

那覇から29バス1時間10分で座喜味下車、徒歩約8分。


座喜味城 - Wikipedia より

座喜味城(ざきみぐすく・ざきみじょう)は、沖縄県中頭郡読谷村にあったグスク(御城)の城趾である。
1416年-1422年に読谷山の按司護佐丸(ごさまる)が築城したとされている。
城門のアーチに楔石を用いており、アーチ門では古い形態とされる。

沖縄戦前には日本軍の砲台や、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたが、
城壁の復元が行われた。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定されたが、
米軍基地として使用されていた部分は指定し得なかったため、返還を機に追加指定された。
ただし、現状変更のあった部分(西側道路部分)についてはのちに指定を解除している。

2000年11月首里城跡などとともに、
琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は座喜味城跡)。
城内で演劇が行われるなど、広く利用されている。
城跡の高台から西側を望むと残波岬や、晴れた日には慶良間諸島も眺めることができる。


座喜味城跡 - 沖縄観光・沖縄情報IMA
座喜味城にゆかりのある歴史的人物といえば、座喜味城を築城した護佐丸(ごさまる)だ。
座喜味城は、名将であり名築城家とも呼ばれた護佐丸が、ゼロから築き上げた最高傑作のグスクといわれている。
護佐丸は、山田城(現在の恩納村山田)の山田按司(あじ。
山田を統治していた豪族のこと)の子で、若い頃、
中山(ちゅうざん)王 の命令で 北山(ほくざん)討伐 に参加して戦果を挙げ、
後に
今帰仁城 の看守を任されていた。
そのときに見た今帰仁城の軍事的要塞としての機能や構造を参考にして、座喜味城を築城したといわれている。
城壁の曲線美を眺めるときには、そうした歴史的な背景を重ねてみると面白いはずだ。

座喜味城の特徴は、城壁が直線ではなく曲がりくねっていることや、
敵を袋小路に追い込むための「武者隠し」など、徹底的に戦に備えた強固な軍事要塞となっていることだ。

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袋小路になっている武者隠し

ところが、護佐丸が18年余りを過ごした座喜味城は、戦をすることが一切なかった。
その後、護佐丸は王の命令で次の赴任先である
中城城(なかぐすくじょう) へと移り住むことになるのだが、
座喜味城にいた頃は武将・護佐丸の生涯において、唯一平和な時期だったともいえる。
そして、戦がなかったからこそ、一部を沖縄戦で破壊されたものの、座喜味城跡は大変保存が良い状態で、今日に残っている。

座喜味城跡を上空から見ると、まるで星形のような入り組んだ形に城壁が曲がりくねっている。
これには、敵から攻められにくくすることと、土地の地質に合わせて城壁の強度を高める目的がある。

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曲がりくねった内郭(写真・左側)と外郭(右側)

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西洋の城を彷彿とさせる美しいアーチ型の城門

座喜味城跡は、曲がりくねった外郭と内郭の2つの郭(くるわ)からなるグスク。
石垣の曲線やアーチ門の美しさが見事であるだけでなく、
アーチ門棟石の強度を補強するためにクサビが打ち込まれていたり、
石垣の曲線にも高度な技術が施されていたりすることなどが、座喜味城跡ならではの特徴。
これらは、座喜味の土質が国頭マージと呼ばれる赤土であったため、強度を保つために施された工夫から生まれたもの。



座喜味城跡・沖縄の世界遺産



座喜味城は、名将であり名築城家とも呼ばれた護佐丸が、ゼロから築き上げた最高傑作のグスクといわれている。
護佐丸は、山田城(現在の恩納村山田)の山田按司(あじ。
山田を統治していた豪族のこと)の子で、若い頃、
中山(ちゅうざん)王 の命令で 北山(ほくざん)討伐 に参加して戦果を挙げ、
後に
今帰仁城 の看守を任されていた。
そのときに見た今帰仁城の軍事的要塞としての機能や構造を参考にして、座喜味城を築城したといわれている。
城壁の曲線美を眺めるときには、そうした歴史的な背景を重ねてみると面白いはずだ。

座喜味城の特徴は、城壁が直線ではなく曲がりくねっていることや、
敵を袋小路に追い込むための「武者隠し」など、徹底的に戦に備えた強固な軍事要塞となっていることだ。
沖縄最古の楔石を用いた石垣のアーチ門や城壁の曲線が見事です。


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