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屋良座森城(やらざむい)

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屋良座森城(沖縄県)/なぽのホームページ より

屋良座森城は1554年に倭寇対策として那覇港出口の西岸に築かれた。
石垣でできた橋の先に郭があり、砲台を備えていたという。
その後、対岸に3つの小島を石垣で数珠繋ぎにした三重城も築かれた。
明治になり琉球処分の際にも取り壊されなかったが、
太平洋戦争後にアメリカ軍の軍用地となり埋め立てられ消滅した。
現在も米軍施設内であるため立ち入ることはできない。


那覇港周辺の今昔(三重城・屋良座森城)

三重城(みいぐしく)は、那覇港入り口にあったグシクで、
16世紀後半に倭寇への防御のため造られたということです。
当時は陸から短冊のように島と島を橋で渡すように出来ており、島の先端には砲台があり、
対岸の屋良座森グスクと対で那覇港を守っていたらしいです。
対岸にあった屋良座森グスクについては、現在は米軍の軍港になっており、
昔の城跡とかは何も残っていません。
この三重城の由来ですが、「対岸にある屋良座森グスクよりも新しく出来たため、
新城(みいぐすく)と呼ばれていたのが、いつの間にか三重グスクと呼ばれるようになったという説と、
当時は三つの橋から出来た城だったので、三重グスクとも呼ばれた」という説が残っているそうです。

琉球古典音楽の「花風節」でも
「三重城に上(ヌブ)てぃ 手布(ティサジ)むちゃぎりば 早舟(ハヤフニ)ぬ習れや 一眼(チュミ)ど見ゆる」
という有名な歌詞がありますが、上り口説や下り口説にも三重城は出てきます。
昔は、見送り・出迎えの場所だったようです。

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写真集那覇百年のあゆみ/写真番号130/P38

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迎恩亭の右岸・三重城への海中道路、港を出る進貢船

那覇港のランドマーク・三重城と海中道路

画面中央で海上にせり出しているのは、那覇港の防衛のために築かれた三重城(みーぐすく)という出城です。
屋良座森グスク (やらざもりぐすく)と対で砲台としても使われたそうです。
三重城 の遺構は現在ロワジールホテルの裏側に残っています。
迎恩亭から三重城までは海中道路で結ばれ、その中程に臨海時というお寺もありました。
三重城 と屋良座森城の間から出港する進貢船と別れを惜しむような琉球の船たちが描かれています。
画面右には西洋の蒸気船も見えます。


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