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三重城 - 格安 レンタルサーバーのTOK2プロフェッショナル 容 …

那覇港の入り口に作られた台場で、倭寇に対する防御のために16世紀に作られた城塞である。
反対側にも屋良座森城が作られ三重城と対をなしている。
後に、船旅の乗客を見送る場所となり、航海の無事を祈る拝所(ウガンジュ)も作られた。
琉球舞踊「花風(はなふう)」の舞台にもなり、那覇の港を船出する愛しい人を見送る女性の姿が描かれた。
当時は、海上に伸びる長い突堤の先端にあり、
今の通堂町あたりから三重城に至るまで海中道路のようになっており、
途中に小橋・大橋・仲の橋・ツキ橋の4つの橋があった。

所在地 那覇市西2丁目
沖縄県那覇市西3丁目(ロワジールホテル那覇の裏)
遺構等 曲輪、石垣
現状 神社
築造年 16世紀後半
築造者 王府
歴代城主
形式 丘城


三重城跡 |「テンペスト」沖縄観光ガイド - Walkerplus

那覇港口にあった砲台跡が「三重城」です。
16世紀後半、
倭寇への防御の
に那覇港北岸の海中道路が延びた先端の岩礁の上に造られたとされています。
当時は城塞でしたが、近世以降は砲台としての役割を失い、
那覇港を出港する船の見送りの場所となり、琉歌にも多く詠まれています。
三重城とは「ミー(新)グスク(城)」を意味し、
対岸の砲台「屋良座森城(やらざむいぐすく)」の後に作られたことによる名称です。
読谷・楚辺村の豪族、王農大親(わんぬうふや)による築造と伝わっています。
「グスク」と呼ばれるその城跡内には青々とした芝生が広がり、
今なお残る石垣には琉球の歴史を感じることができます。
また、グスク内には小さな神殿や水の神として奉られている遥拝所があり、
手を合わせる人を目にすることもあります。
遥拝所の対岸に、かつての屋良座森城(やらざもりぐすく)を一望することもできます。

また、沖縄本島中部・読谷村にある複合型体験施設「体験王国 むら咲むら」近くに、
当時の三重城が復元されています。
これは、NHK大河ドラマ「琉球の風」のセットとして使用されたもので、
青い海に向かって伸びる堤防、航海の安全を祈る拝所が見られます。
かつて薩摩や中国に行く船を見送る場所としても利用された三重城の面影をしのぶことができます。
なお、この復元は屋良座森城をモデルに建設したという説もあります。

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三重城の城壁

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三重城
のピット痕

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迎恩亭の右岸・三重城への海中道路、港を出る進貢船

那覇港のランドマーク・三重城と海中道路

画面中央で海上にせり出しているのは、那覇港の防衛のために築かれた三重城(みーぐすく)という出城です。
屋良座森グスク (やらざもりぐすく)と対で砲台としても使われたそうです。
三重城 の遺構は現在ロワジールホテルの裏側に残っています。
迎恩亭から三重城までは海中道路で結ばれ、その中程に臨海時というお寺もありました。
三重城 と屋良座森城の間から出港する進貢船と別れを惜しむような琉球の船たちが描かれています。


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復元された三重城。1993年NHK大河ドラマ「琉球の風」のオープンセットとして読谷の海岸に作られた。
現在は他のセットとともに、観光施設「むら咲きむら」として活用されている。


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三重城にのぼて 手巾持上げれば
速船のならひや 一目ど見ゆる
訳:愛しい人を見送るため、三重城に上って、手巾を持ち上げて打ち振ると、
船足が速くて一目しか見えない。

ロワジールホテル那覇の裏手にある三重城(みーぐすく)という史跡。
意識してみない限り、見落とされやすいことが多い史跡です。ロワジールホテル周辺のほとんどが埋立地です。
すぐ目の前に広がる広大な海には、泊港から行き来する船や外来船などさまざまな船が行き交い、
那覇の港はとても賑わっていました。
人々は、やってくる船を見ては帰港した家族を出迎えたり、お土産をたくさん積んだ唐からの帰還船を追いかけたり、
また一方で旅立つ船をみては航海の無事を祈るのでした。

ロワジールホテル裏に史跡がある理由は、かつてここに三重城と呼ばれる長堤があったからです。
那覇の港からしっぽのように長く伸びた堤防です。
三重城は、16世紀、倭冠(西日本を拠点に出没した海賊)への防御の為に作られた防壁代わりのものだとされており、
楚辺村の豪族王農大親(オーヌウフヤ)によって築かれたとされています。
王農大親の一人娘は、尚清王の夫人となった人物であり、首里王府と関わりの深い豪族であったことが伺えます。
三重城は、「王ヌ大比屋(おひや)城」とも呼ばれていたそうで、村落の長らしき威厳ある場所でもあったようです。

かつての三重城は、港全体を囲い込むように長く、途中に臨海寺というお寺がありました。
臨海寺は、薩摩や中国へ行く船を見送る場所であり、尚寧王が捕らわれの身となり、
薩摩へ連衡される際もこの場所で別れの手を振ったと言われています。
当時の琉球では、最愛の人の旅立ちを見送る光景は、当時では珍しいことではなかったのでしょう。
庶民の暮らしぶりをモチーフにした琉球舞踊「雑(ぞう)踊り」で有名な『花風』は、この三重城が舞台となっています。

琉球舞踊『花風』は、三重城に登って、旅立つ船を見ながら手を振り、愛する人との別れと航海の安全を祈る情緒溢れる、
まさに当時の情景を物語る踊りです。
『花』は、遊女のことを示しています。
一人の女性が、日傘を片手に、
もう一方の腕は目一杯にティサージ(手ぬぐいのようなもの)を振って愛しい人を見送るのですが、
船の走るスピードは速く、一瞬で見えなくなってしまいます。

三重城は、時代と共に必要性をなくしてゆき、戦火が落ちる直前には埋め立てられていたそうです。
当時の光景を復元したものが、読谷村にあります。
NHK大河ドラマ「琉球の風」のオープンセットとして復元されました。
復元されたのは、三重城だけではなく、
当時の那覇の町並みや久米村の武家屋敷など完全に消失された家屋とともに再現されました。
これらは全て、読谷村のテーマパークでもあり村民の憩いの場でもある「むら咲きむら」でご覧頂けます。
復元された三重城ですが、本物と比べれば、長さは短く、途中の臨海寺もないミニモデルではありますが、
イメージはつかめるのではないでしょうか。

また、三重城の史跡に行くと、水の神として奉られている拝所があります。
これは、かつて襲来から人々を守ったがゆえに名づけられた自然の神を表しているのでしょう。
別れの地でもあり、護衛としての役割も果たしていたことからでしょうか、
現在では、旅先や県外で亡くなった人の霊を拝む所であり、
また、神や祖霊の場所が山や遠いところにある場合、三重城で遠くで守ってくださる霊を拝むこともあるそうです。

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