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浦添城 - Wikipedia より

浦添城(うらそえじょう、浦添城跡)は、沖縄県浦添市にある城(グスク)跡。
1989年(平成元年)8月11日、国の史跡に指定されている。

土台は隆起珊瑚礁が長さ約400メートル続いている断崖の上に築かれた。
舜天王 の時代に創建され、
12世紀-15世紀初頭にかけて
舜天 英祖 察度 の3王朝10代にわたって居城した所との伝承をもつが
史実かどうかについては確証を欠いている。
規模は、東西約380メートル、南北約60ないし80メートルで、北は急崖をなしているが、南は緩斜面となっている。

歴史

城内の建物は再三にわたり改築されているが、最後のものは1609年、
慶長の役に伴う薩摩軍の侵攻に遭い焼失した。

その防衛に適した地形から沖縄戦では首里周辺の重要拠点として重視された。
日本軍は防衛拠点に位置づけ死守に拘ったため、
米軍との間で前後11回にわたる激しい争奪戦、攻防戦が約3週間の間繰り広げられた。
陣地攻略を指揮していた米軍第24軍団長のホッジ少将は
「(この砦を)一寸刻みに爆破していく以外に、日本軍を追い出す方法は無いと思う」と述べたとされる。

沖縄観光チャンネル
浦添グスク(城)は首里城以前の
中山 王城として知られています。
発掘調査から十四世紀頃の浦添グスクは、高麗系瓦ぶきの正殿を中心に、
堀や石積み城壁で囲まれた巨大なグスクで、
周辺には王陵・寺院・大きな池・有力者の屋敷・集落などがあったと考えられています。
のちの王都首里の原形がここでできあがっていたようです。

王都が首里に移された後、浦添グスクは荒廃しますが、
1524年頃から1609年の薩摩藩の侵攻までは浦添家の居館となりました。
去る沖縄戦では、日米両軍の激しい戦闘により、戦前まで残っていた城壁も大部分が破壊されましたが、
これまでの発掘調査によって、
石積み城壁に基礎や、敷石遺構、建物跡などが良好に残っていることが確認されています。
浦添市では現在、史跡浦添城跡復元事業を進めているところです。
説明板より引用

浦添グスクは王宮が首里城に移される以前の、舜天(しゅんてん)王統、英祖(えいそ)王統、
察度(さっと)王統の居城として200年余りに渡り琉球国中山(ちゅうざん)の歴史の舞台となったお城です。
標高約130mの琉球石灰岩の丘陵に位置し、東シナ海や遠く読谷(よみたん)まで見渡せる景観を持ちます。1609年の薩摩軍の琉球侵攻で焼き討ちされ廃城となりました。
現在では浦添グスクと数多くの文化財を含む一帯が、
緑豊かな「浦添大公園」として整備され市民の憩いの場となっています。

グスクめぐり(7)【浦添城・浦添ようどれ・伊祖グスク ...

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