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浦添ようどれ - Wikipedia より

浦添ようどれ(うらそえようどれ)は、沖縄県浦添市にある琉球王国の陵墓。
西室(
英祖王 陵)と東室(尚寧王陵)の二つの墓室を中心に墓庭、門、石牆(石垣囲い)からなる。
国の史跡・浦添城跡の一部。
英祖 が1261年に築き、 尚寧王 が1620年に修築したと伝えられる。

浦添城跡北側崖下中腹に設けられた
掘込墓 である。ようどれは夕凪の意。別名極楽陵。
墓庭から向かって右側が西室(英祖王陵)、左側が東室(尚寧王陵)と言われている。
墓庭は一番庭、二番庭からなり、その周りを石
、中御門が囲んでいる。
外側にあった天然の岩からなる
「暗しん御門」(くらしんうじょう) は戦争で破壊された。

西室には中国産の閃緑岩製の石厨子(石棺)が3基ある。
東室には閃緑岩製1基、微粒子砂岩(方音:ニービヌフニ)製1基、石灰岩製1基の計3基の石厨子がある。

戦前墓庭にあった石碑「
ようとれのひのもん(極楽山之碑文) 」には、
「尚寧王は浦添から首里の王位に就かれた。
ようどれは英祖王の墓であるからこれをきれいに修理するとともに、
祖父(小禄御殿二世・
尚弘業 、浦添王子朝喬)と父(三世・ 尚懿王 、与那城王子朝賢)の遺骸も葬った。
ゆくゆくは尚寧王もここに入るだろう」
という趣旨の内容が和文並びに漢文で石碑の表裏にそれぞれ記されていた。


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西室(英祖王陵)内の石厨子

沖縄戦で大きな被害を受けたが、近年発掘調査の後、戦前の姿に修復された。
発掘調査から、浦添ようどれは最初13世紀に造営されたと考えられ、
琉球国由来記 』にある咸淳年間(1265年 - 1274年)に造営されたという記述と矛盾しないことが裏付けられた。
癸酉年銘の高麗瓦が発掘されていることから、咸淳9年癸酉(1273年)が造営年として有力視されている。

この初期ようどれ(第1期)造営の後、
尚巴志王代(第2期)、尚寧王代(第3期)の二回に渡って、大規模な改修がなされた。
西室にある閃緑岩製石厨子は元々あった漆塗板厨子(木製厨子)を
この第2期の改修時に置き換えたものと考えられている。
3基の石厨子のうち、一番大きなものが英祖王の石厨子と見なされている。

墓の中にある石厨子は県指定有形文化財になっている。


グスクめぐり(7)【浦添城・浦添ようどれ・伊祖グスク ...

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沖縄観光チャンネル

浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、
咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわれています。
その後、1620年に、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。
岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。
向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。
「ようどれ」とは琉球語の夕凪です。
浦添グスク・ようどれ館配布パンフレットより引用
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