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玉陵(たまうどぅん)

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玉陵は1501年、周真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、
第二討氏王統の陵墓となりました。

墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、
創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、
西室には、墓前の庭の王陵碑に記されている限られた家族が葬られました。

全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。
墓域は、2,442㎡。

沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、
修復工事が行なわれ、往時の姿を取戻して今日に至っています。


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第二尚王家歴代の陵墓であるこの玉陵は、
首里城への要路綾門大道に臨み東は天界寺に隣接するなど重要な位置にあります。

墓陵内は、琉球石灰岩の高い石垣によって囲まれ全ての庭には珊瑚砂利がしきつめられています。

東室、中室、西室の三基に分かれた墓堂は、
自然の岩壁をうがち外部を切石積の家型とした沖縄特有の形式をもつ墓陵といえます。
中室は、洗骨までの間霊柩を安置するのに使用し(シルヒラシ)、
東室には洗骨後の王および王妃、西室にはそれ以外の家族の遺骨を安置したと伝えられています。

また、前庭左側に西面して建つ「
たまおどんのひのもん 」(尚真王二五、大明弘治一四年一五○一)には、
陵墓にまつわる当時の事情が伝えられ、

その他墓頂
にある雌雄の石獅子や墓室前の高欄などからも琉球文化の粋をしのぶことができます。


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〔世界遺産〕〔国指定重要文化財〕〔国指定史跡〕

「玉陵」は第二尚氏王統歴代のお墓です。
1501年 
尚真王 見上げ森 (ミアギムーイ)に葬られていた父 尚円王 の遺骨を移葬するために
ここに築きました。
歴史書「琉球国由来記」には、「玉陵碑」が建立された1501年を玉陵の創建年と記されています。
自然の崖を掘り、その前面に基壇を設けて石積みされ屋根は黒色の平瓦段葺としています。
墓室の前には、
往時の首里城正殿前の石欄(せきらん)を思わせる鳥獣花などを彫った石欄が取付けられています。
また、墓全体は石垣で囲まれて外庭と内庭に区画されており、
庭には洗浄の意味で珊瑚砂が敷かれています。
沖縄戦で破壊されましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ復元修理が行われ、
1972年国指定文化財(史跡)となりました。
国王が亡くなると中央にあるシルヒラシという部屋に数年間遺体を放置します。
その後何年か経て骨だけになると、
きれいに洗骨され厨子甕(ずしかめ)に入れられ東側の部屋におさめられました。
東側の部屋には国王だけでなく、王妃、世子、世子妃が葬られ、
西側の部屋にはそれ以外の家族が移葬されました。

※玉陵の見学には別途観覧料金がかかります。

玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、
琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。

所在地は沖縄県那覇市首里金城町。
そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。
世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。
なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「
伊是名玉陵 」、「 山川の玉陵 」がある。


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玉陵碑
  被葬者としての資格を記した碑

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玉陵前門

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玉陵後門

玉陵内には被葬者としての資格を記した碑、いわゆる玉陵の碑文があり、それによると有資格者とは
   尚真王(金丸)
   おぎやか (尚円王の妃、尚真王の母)
   聞得大君・音智殿茂金 (尚真王の妹)
   佐司笠按司・真鍋樽 (尚真王の長女)
   尚清王 (尚真王の世子)
   尚韶威・今帰仁王子朝典 (尚真王の三男)
   尚龍徳・越来王子朝福 (尚真王の四男)
   尚享仁・金武王子 (尚真王の六男)
   尚源道・豊見城王子 (尚真王の七男)

の子孫だとされるが、これは尚真王が生存中は守られていたであろうが、
子の尚清王は即位ののち、すぐにこの碑文の内容に反し、
廃嫡された兄:尚維衡・浦添王子朝満を玉陵に移葬している。
また、各王子の子孫もここには葬られず、それぞれ各家で墓所をもっている。

例外を除き、基本的に被葬者は歴代王と王妃であると思って良い。
第二尚氏・第二代国王 宣威は初代王(尚円王:金丸)の15才年下の実弟であるにもかかわらず、
玉陵には入れてもらえず、越来の地(現・沖縄市嘉間良3丁目、学校給食センター近く)にあるので、
実質的に金丸とおぎやかの家族の墓であろう。

1931年、尚家20代当主尚典の夫人:祥子(野嵩按司加那志)の入棺の後、新たな被葬者はいない。

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玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。
所在地は沖縄県那覇市首里金城町。
そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。
界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。

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玉陵全景
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概要

玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれる。中室は葬儀の後、当時の琉球の葬制に基づき遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して洗骨した。
洗骨した後に遺骨を骨壺に収め、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。
建造物の外は外庭、中庭に石壁で仕切られ、中庭には珊瑚の破片が敷き詰められている。

第二次世界大戦末期には、日本軍総司令部に近かった玉陵は首里城と共に集中砲撃の巻き添えに会い、東室・西室が破壊されるなど大きな被害を受けた。
現在見られる大部分は第二次世界大戦後に復元されたものである。
また第二次世界大戦で亡くなった旧制沖縄県立第一中学校(現・首里高等学校)の生徒を弔うための「一中健児の塔」などが近くに建立されている。

2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された他、全体が国の史跡、「玉陵」5棟(墓室3棟、石牆2棟)が国の重要文化財(建造物)、石彫獅子と玉陵碑が県の有形文化財(彫刻)に指定されている[1]。

被葬者


玉陵内には被葬者としての資格を記した碑、いわゆる玉陵の碑文があり、それによると有資格者とは
   尚真王
   おぎやか (尚円王の妃、尚真王の母)
   聞得大君・音智殿茂金 (尚真王の妹)
   佐司笠按司・真鍋樽 (尚真王の長女)
   尚清王 (尚真王の世子)
   尚韶威・今帰仁王子朝典 (尚真王の三男)
   尚龍徳・越来王子朝福 (尚真王の四男)
   尚享仁・金武王子 (尚真王の六男)
   尚源道・豊見城王子 (尚真王の七男)

の子孫だとされるが、これは尚真王が生存中は守られていたであろうが、子の尚清王は即位ののち、すぐにこの碑文の内容に反し、廃嫡された兄:尚維衡・浦添王子朝満を玉陵に移葬している。
また、各王子の子孫もここには葬られず、それぞれ各家で墓所をもっている。

例外を除き、基本的に被葬者は歴代王と王妃であると思って良い。

1931年、尚家20代当主尚典の夫人:祥子(野嵩按司加那志)の入棺の後、新たな被葬者はいない。

建築

    墓室( 東室 中室 西室
   
前門
   
後門
   
玉陵碑
   
玉陵奉円館

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