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沖縄戦70年

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戦跡と証言

NHK沖縄放送局では、夕方のニュース番組で、
平成20年から5年間「戦跡を歩く」と題して沖縄県内にある戦争遺跡を訪ねて、
沖縄戦体験者の証言を記録してきました。
映像はおよそ100本、沖縄本島、離島や海外の戦跡まで記録しました。
今なお残る沖縄戦の爪あとをご覧いただき、平和の大切さを改めて認識していただければと思います。
(映像やコメントは、放送当時のままです)



戦世の証言

平成25年4月から夕方のニュース情報番組「おきなわHOT eye 」で放送している「戦世の証言」。
沖縄戦の継承が課題となっている今、体験者の貴重な証言を記録し、戦争の記憶を伝え残していきます。
(映像やコメントは、放送当時のままです)



沖縄戦の絵

10年前にNHK沖縄放送局と沖縄県が企画した「体験者が描く沖縄戦の絵」を、
あらためてインターネット上で公開します。
悲しい記憶を呼び起こして悲痛な思いで描かれた絵の数々は、
ご本人の証言とともに今もなお、我々に強く訴えかけてくるものがあります。
(2006年6月に出版した時の情報をそのまま掲載しています)



沖縄戦について

米軍は昭和20年3月26日には沖縄の慶良間諸島へ、
4月1日には本島中部の読谷・北谷海岸(西海岸)に上陸した。
米軍が日本軍の司令部がある首里に近づくにつれ、日米双方の激しい攻防戦が続いた。
日本軍は5月4日には総攻撃に出たが失敗、5月下旬、
沖縄守備軍は首里の司令部を捨て、本島南部へ撤退することになった。
多くの住民が軍を頼って行動を共にしたため、戦闘に巻き込まれ、結果的に多くの犠牲者が出た。
また、野戦病院などに収容され歩けない傷病兵は、青酸カリの注射を打たれるなどして、
その場で死を余儀なくされた。
避難場所となった壕は、軍民が混在し、米軍に居場所を悟られないように、
壕の中で泣き声を立てる幼子を殺すように命じられ、手をかけざるを得なかった家族もあった。
また、軍によって壕から追い出され、猛烈な砲爆撃にさらされて多くの住民が命を落とした。
組織的な戦闘が終わったとされるのは6月23日だが、それ以降も散発的な戦闘は続いた。

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