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大城城跡 - がじゅまるの樹の下で。

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大城城跡

大城城跡は、標高130メートルを最頂部とする琉球石灰岩の丘陵上に形成されている。
四方は急峻な崖状になっており自然の地形を巧みに取り込んで作られている
別称「ウフグスク」とも呼ばれる古城の一つである。

築城主とその年代については定かではないが、
口碑・伝承の中では14世紀の初め頃に大城按司(麻真武)によって築かれたと伝えられている。

城内には平らな面が広がり、南側に城門を開き、本丸と二の郭から築かれている。
城壁は崖状に沿って野面の石積みで取り囲んでいる。
1990年に村の分布調査の結果からはグスク土器、中国製の磁器、褐釉陶器、
刀子 、鉄釘等が出土した。
おおよそ14世紀から16世紀までの資料となっている。
平成4年3月25日
大里村教育委員会



南城市大里の大城グスク(1) | 沖縄の風景

南城市大里の丘陵地。正面の山頂にグスクがあります。大城(ウフグシク)グスク。


大城グスク より

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丘陵地帯の一角にある丘の頂上にグスクはあります。
見晴らしは良いのですが、遺構は少なめです。
城主の大城按司・眞武は近隣の有力者でしたが、大里軍との戦の際、自軍の旗を誤って倒したため、
グスクで見ていた夫人や臣下がグスクに火を放ち自害。
按司自身も驚いたところを大里軍に隙をつかれて敗れ、自刃したそうです。


北中城村ホームページ | 観光案内 | 大城グスク

荻道・大城の両集落の後方にある琉球石灰岩丘陵(上の杜)の中央部に位置する。
標高は、150m~165mで、最高部は村内で一番高い場所である。
グスク内には大城御嶽があり、また、古墓も点在し、
そのなかには鬼大城(大城賢勇)の祖先の墓と称する墓もある。
戦前まで石積みが残っていたが、戦時中に石を取り壊したという話もある。
現在、石積みは北側の一部に僅かに残っている。
「北中城村史」(1971年)によるとこのグスクは英祖王の第三子中城王子の居城であったという。


大城グスク【三角点とグスク】

14世紀頃に大城按司(麻真武)の居城したグスクであるが、築城主は定かではない。
現在は、島添大里按司との戦で敗れ自害した大城按司の墓が残っている。
1990年の遺跡調査では、城壁は崖に沿って野面の石済みで取り囲んでいて南側の城門、
本丸と二の郭が確認された。
出土品は、グスク土器、褐袖陶器、中国製の磁器、刀剣などが出土した。


"大城城跡" - 美ら島

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大城城跡【おおしろぐすく】/大里村
1985.4.1市指定

方言で「ウフグスク」といい、中規模のグスクに属する。

玉城按司【たまぐすくあじ】の次男、大城按司眞武【うふぐすくあじしんぷ】によって築かれたとされる。

大城按司は、14世紀頃当地一帯を支配していたという。

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大城按司眞武の墓
1961.5.15県指定
通称「ボウントゥ墓」と呼ばれる。
稲福の崖下にあった大城按司の亡骸は、 臣下によって葬られた
1892年に現在の地に移された。


大城グスク ( 南城市玉城百名 ) - 「 九州・沖縄ぐるっと探訪 … より

大城グスクと名のつくグスクは沖縄では、旧・大里村と北中城村にあり、 
これは、旧・玉城村の百名集落の中心部に築かれた大城グスクである。
近くにミントングスク、垣花、玉城、糸数などのグスクが集中する入り口にある。
沖縄開闢の始祖となる神、アマミキヨが降り立ったヤハラヅカサや
一時的に居住したというハマガーウタキなどが近くにある。
グスクの興亡については資料が手元にないので何ともいえないが、
周囲のグスクの位置などを考えると同年代ではないかと思われる。



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