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具志川城 (糸満市) - Wikipedia より

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具志川城(ぐしかわぐすく、ぐしかわじょう)は、沖縄県糸満市喜屋武具志川原にあった城(グスク)。
城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定された。

具志川城跡は、沖縄本島最南端の糸満市字喜屋武の海岸断崖に立地し、三方を海に囲まれている。
城の規模は、東西が82~83メートル、南北は33メートル。
内陸部から正門を入ると、一段下がった二の曲輪があり、
広場を挟んで、海上に半島状に突き出す一の曲輪がある。
一の曲輪がグスクの主郭で、建造物の跡が確認されている。
二の曲輪には「ヒーフチミー(火吹き穴)」または「スーフチミー(潮吹き穴)」と呼ばれる穴があり、
海岸へ通じている。
正門には切石を用いた痕跡が残っている。

『久米島具志川間切旧記』(1743年編纂)によれば、
具志川城 (久米島町)の城主・真金声(まかねごえ、まかねくい)按司が、
伊敷索(いしきなわ)按司の二男・真仁古樽(まにくたる)按司に攻められて、本島のこの地に逃れ、
同名の具志川城を築いたと伝承されている。
発掘調査では青磁・白磁などの中国製陶磁器が出土しており、
12世紀後半から15世紀中頃まで本城跡はグスクの機能を果たしていたと考えられる。

糸満市では国と県の補助により、2000年(平成12年)度から本城跡の保存修理事業を進めている。
2014年(平成26年)度も継続中である。


具志川城(沖縄県糸満市)の歴史・見どころ・地図 ...- 攻城団

具志川城の正確な歴史は不明ですが、
久米島にあった具志川城主の真金声(まかねくい)按司が
伊敷索(いしきなわ・ちはな)城主の二男・真仁古樽(まにくたる)に攻め滅ぼされたため、
本島南部に逃走し、
この地にかつてと同じ名前の城を築いたと伝わっています(ただしこの説の確証はありません)。
石垣は珊瑚礁石灰岩の野面積みで、2000(平成12)年より石垣の修復工事が行われました。
また、発掘調査では13世紀中頃から15世紀中頃までの中国製陶磁器が出土しています。
なお、沖縄にはこの糸満市と久米島のほか、勝連半島のうるま市にも具志川城があり、
いずれも規模や構造がとてもよく似ています。


具志川(ぐしかわ) 城跡 糸満市喜屋武(きゃん) | 沖縄観光情報

断崖絶壁に突き出すように築かれた具志川城跡。
現代の石工も認める卓越した石積の技術が見ものですよ。

ちなみに、沖縄県内には うるま市と久米島町にも同名の「具志川」城跡があるんです。


具志川城は15世紀頃に安慶名城の大川按司が、
中国との貿易の管理のために息子の天願按司に築かせたグスクです。
大川按司は周辺一帯に勢力を拡大していったため、
これを警戒した首里の王府軍に討伐され廃城になったと考えられています。
なお、久米島や糸満市にある同名の城は真達勃(まだふつ)・真金声(まかねくい)の親子が築いたものですが、
この城との直接の関係はなさそうです。
また、具志川城祉は沖縄戦で日本軍が陣地として使用しており、
自決して亡くなった方のための慰霊碑が建立されています。

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