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蓋と城 より

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伊波グスクは、中北山時代の北山王である 今帰仁 世(?~1304年?)が
怕尼芝 ・羽地(はにし)按司に滅ぼされたときに落ち延びた今帰仁城主の子孫(伊波按司)が、
この地に逃れて来た後に力を付け城を築いたものとされています。

城の構造は、一重だけの城壁をめぐらす単郭式のグスクですが、
東北側切り立った自然の断崖を利用した断崖絶壁の要害であり、
東南側の城跡には自然の石灰岩に石垣を積んで物見台としています。
石垣のほとんどが自然石をそのまま用いた野面積みで積まれ、石積みや虎口でしっかりと固められています。
4カ所の拝所は、中央が「火の神」で東側には「森城嶽(オソクツカサ神の御イぺ)」が祀ってあります。

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県指定史跡 伊波城跡 昭和56年6月15日指定
伊波城址は琉球石灰岩からなる標高87mの丘の上に築かれた石垣囲いのグスクです。
伝承によれは1322年に伯尼乏(羽地)按司に滅ぼされた 
今帰仁グスクの城主の子孫がこの地に逃れてきて、のちにカを得て伊波按司となって、
ここにグスクを築いたものといわれています。
構造は周縁に一重だけの城壁をめぐらす単郭式で、
石垣はほとんどが自然石をそのまま用いた野面積みという方法で積まれています。
東北面は切り立った自然の断崖を利用し、南面は突き出た自然岩をうまくとりこんで、石垣をめぐらしています。
グスクの内外には、グスク土器、外国製陶器(いわゆる南蛮など)中国からもたらされた青磁などがみられます。
なお、この地域において許可なく現状を変更することは、県条例で禁じられています。
沖縄県教育委員会
石川市教育委員会


一度は
伯尼乏 (?~1395年)によって北山王の座を追われた伊波氏でしたが、
村人に推されて伊波按司となった今帰仁子から、伊波按司・初代伊覇按司(八男)、
瀬長按司(六男)、玉城按司(四男)、高瀬按司(二男)、
今帰仁子(長男)、大湾按司(三男)、山田按司(五男)が、
また、初代伊覇按司からは、
中城 按司(十男)、幸地按司(八男)、 勝連 按司(六男)、
安慶名 大川按司(五男)、二代目伊覇按司(長男)が生まれています。
この伊波グスクを拠点に子孫は華麗なる一族と呼ばれて、
勝連 按司や 安慶名 按司、 玉城 按司など沖縄本島各地の有力領主たちの祖となっています。
琉球の戦国史上で著名な
護佐丸 (?~1453年)や 阿麻和利 (?~1458年)も、
元を辿ればこの伊波グスクにたどり着くわけです。

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伊波城跡と伊波按司 - がじゅまるの樹の下で。


沖縄県うるま市 「 伊波グスク 」 - 「 九州・沖縄ぐるっと探訪 …

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伊波城跡
住所: 〒904-1115沖縄県うるま市石川伊波

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