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首里城跡 

首里城は、1429年から1879年まで琉球王国の国王の居城城でした。
王城は、硫球の政治、外交、文化の中心として栄え続けました。
発掘調査の結果、
首里城は14世紀の末頃までには築かれていたことが明らかになっています。

首里城は、地形を巧みに活用して内郭と外郭に分けて築かれています。
城壁は、琉球石灰岩の切石で築かれ、
その総延長は約1,080mです。城壁の高さは、6~15mにもなり、
その厚さはおよそ3mです。
歓会門が大手円(正門)で,西側城壁にあります。

城内には、正殿・北殿・南殿などの重要な建物が御庭を囲んであり、
正殿は、1925年に国宝に指定されていました。
しかし、これらの建物群は、沖縄戦ですべて焼失し、
1972年から復元整備が実施されています。


今帰仁城跡

かつて琉球に統一王国が樹立する以前の
三山時代 (北山、中山、南山)北山の居城として
「今帰仁城」が築かれ、
沖縄本島北部(やんぼる)の政治、経済、文化の拠点となったグスクです。
今帰仁城は15世紀初頭まで隆盛を極ましたが、
北山 最後の王、 撃安知 lが1416年に 尚巴志 の率いる連合軍によって滅ぼされてしまいました。
その後、監守制度(1422年~1665年)がしかれ首里王府から派遣された監守によって,
北部地域が統治されました。


勝連城跡

勝連城は、沖縄の城の中でも最も古く、13世紀頃に築城されたとされています。
沖縄本島中部、東部海岸の勝連半島にあり高低差のある丘陵地をうまく利用した城造りが特徴です。
城主は、代々按司【あじ(地域の首長)】として治めてきましたが、
10代目の城主、阿麻和利(あまわり)の時が最も繁栄していたとされています。
 
勝連城は、勝連半島沿いに東西に細長く延びた形状のため、別名「進貢船のグスク」とも呼ばれています。
東の曲輪【くるわ(城郭内の区画のこと)】が少し高く四の曲輪が平坦で
三の曲輪から二の曲輪、一の曲輪と段状になっていることでその名が付いたとされます。
また、断崖の地形を利用した城壁は優美な曲線を描いています。当時の居城としてはとても立派なもののようでした。
現在は、城壁跡しか残っていませんが、全貌を明らかにしようと発掘調査が進行中です。
ここ「勝連城跡」は、2000年(平成12)12月に「首里城跡」などと共に
【琉球王国のグスク及び関連遺産群】として世界遺産に登録されました。


座喜味城跡

座喜味城(ざきみぐすく・ざきみじょう)は、沖縄県中頭郡読谷村にあったグスク(御城)の城趾です。
1416年-1422年に読谷山の按司護佐丸(ごさまる)が築城したとされています。
城門のアーチに楔石を用いており、アーチ門では古い形態とされます。

沖縄戦前には日本軍の砲台や、
戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたましたが、
城壁の復元が行われました。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定されましたが、
米軍基地として使用されていた部分は指定し得なかったため、返還を機に追加指定されました。
ただし、現状変更のあった部分(西側道路部分)についてはのちに指定を解除しています。

2000年11月首里城跡などとともに、
琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています
(登録名称は座喜味城跡)。


中城城跡

中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した城で、
15世紀の琉球王国・
尚泰久王 代、 護佐丸 のグスク(城)として知られています。
城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられますが、築城の時期は不明です。

日本に開国を迫ったアメリカの
マシュー・ペリー提督 が1853年5月に沖縄本島を訪れ、
ここも訪ねた彼の一行は城を見て、城壁、アーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆し、
この城に関する詳細な報告文を書いています。

1945年(昭和20年)沖縄本島では太平洋戦争の沖縄戦により多くの文化財が消滅しましたが、
中城城は戦争の被害が少なかったため、グスクの石積みが良好に残った城だと言われています
(戦後に補修が行われました)。

1955年(昭和30年)には琉球政府文化財保護委員会により重要文化財の史跡・名勝の指定が行われました。
その後、当城の本丸にホテルを建設する計画が立てられ問題となりました(
中城高原ホテル を参照)。
1972年(昭和47年)5月15日(沖縄県の日本復帰の日)に国の史跡に指定されました。
指定面積は110,473平方メートル(約33,400坪)でそのうち14,473平方メートル(約4,300坪)が城郭の面積。
現在は補修・復元工事がすすめられています。
2000年(平成12年)11月、首里城跡などとともに、
琉球王国のグスク及び関連遺産群 としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています
(登録名称は中城城跡)。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(99番)に選定されました。
2013年(平成24年)「美ら島おきなわ・花と緑の名所100選」(沖縄県)に
ツワブキ の名所として選ばれました。


園比屋武御嶽石門(ソノヒャンウタキ)

守礼門から歓会門に至る途中の石門とその周辺のハンタン山を「園比屋武御嶽」といいます。
国王が外出する際に道中の安全祈願を行った礼拝所です。
門の形をしていますが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。
門の上部に掛けられている扁額から1519年(尚真王代)に建てられたことがわかります。
琉球を代表する石造建造物で、扉を除きすべてが石でできており、
最上部の棟石(むねいし)部分の細かい彫刻は実に見事です。
1933年国宝に指定されましたが沖縄戦で一部が破壊され、1957年に復元されました。
現在、この石門は国の重要文化財に指定され、2000年には世界遺産に登録されました。


玉陵

玉陵は1501年、周真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、
第二討氏王統の陵墓となりました。

墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、
創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、
西室には、墓前の庭の王陵碑に記されている限られた家族が葬られました。

全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。
墓域は、2,442㎡。

沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、
修復工事が行なわれ、往時の姿を取戻して今日に至っています。


識名園

識名園(しきなえん)は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つ。

識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも、また首里城の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれました。
造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 - 1795年)の時代に始まったと言われますが定かではありません。
完成は尚温の時代の1799年になります。

中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されています。
完成当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす、現在でいう迎賓館として使われました。
「勧耕台」と称する展望台がありますが、海を望むことはできません。
これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれています。

第二次世界大戦で園内のほとんどの建造物が破壊されたため、現在見られるものは復元(工期:1975~1995年)です。

1941年、国の名勝に指定され、戦禍で壊滅後、1976年に再指定。
2000年には国の特別名勝に指定され、同年12月にユネスコの世界遺産に登録されました。

1999年以来、毎年11月3日(文化の日)には
園内で識名園歌会(花ゆうな短歌会主催・那覇市教育委員会共催)が開かれ、短歌を楽しむ人達でにぎわいます。
また11月第4日曜日には、
識名園友遊会(識名園友遊会実行委員会主催:真和志自治会長連絡協議会、那覇市教育委員会共催)が開催れ、地域の伝統芸能発表が行なわれています。

なお、敷地内に「育徳泉(いくとくせん)」という泉が湧いており。
そこに生える淡水産の紅藻類「シマチスジノリ」は国の天然記念物です。


斎場御嶽

御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、
斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。
御嶽の中には六つのイビ(神域)がありますが、
中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある部屋と同じ名前をもっています。
当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものでしょう。
はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島から運び入れ、
それを御嶽全体に敷きつめました。
その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り」でした。
斎場御嶽は、
琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、
現在も多くの人々から崇拝されています。



琉球王国のグスク及び関連遺産群 (りゅうきゅうおうこくのグスクおよびかんれんいさんぐん)は、
沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成される遺産として

沖縄にある多くのグスク(城)及び遺跡の中から、
沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成される
5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、
その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が
第24回世界遺産委員会会議で2000年(平成12年)に日本で11件目の世界遺産として登録されました。
これらの公式名称は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」といいます。

なお、各グスクの登録の名称は下記のとおり「じょうあと」で、
「ぐすくあと」、「じょうせき」とはしていません。

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